教師とは

今日、登校拒否をしました。

祖母から電話で色々学校でのいざこざを学校へ説明して貰いました

そして1時間が経ち、また電話がかかってきまして、祖母が受話器を取ったんですね。

やはり学校でした。

そして、担任と電話で話をすることになりました。

第一声は「それで、学校来れんの?」でした。

は?

私は思考が停止して、何も言えず。

その後、事件についての事、クラスの雰囲気がダメなことを話しましたが

事件については夏期講習の件はもう一度話を聞く、サッカーでの出来事には「お前は気にしぃだから」と否定。

クラスの雰囲気については「お前とおれも含めてクラスなんだからお前が雰囲気について話してるのは違うだろ?」「そんなこと言ったらお前は2-4じゃないみたいじゃねぇの?」と完全に否定。

そして、「それで、学校には来れるんだべ?」と。

行きたくねぇとも言えず、黙っていると

「じゃあお前ん家俺が行くか?」と。

その後に続けて「その2択だ」と。

涙がぼろぼろとこぼれました。

弱い僕は「じゃあ向かいます」と言い、祖母に電話を変わりました。

私はただ辛く、苦しく、悲しかったです。

電話で言われた、「ばぁちゃん心配してたぞ」「あんまり人心配させんでねぇ」にプレッシャーを感じたし、

「無理することはねぇけど」には腹が立ちました。

俺にとっては学校に行くこと自体が無理してるのに当たり前みたいに言いやがってふざけんな。

心配させんなとか何言ってんだよ

俺はどんだけ辛い中生きてきたか

どんだけ心配かけないように生きてきたか

何も知らねぇし理解しようともしねぇ

そんなくせに心配かけないようにとか言うんじゃねぇよ

理解者はもういない

どうも。

今日は学校を早退しました。

しんどかったからです。

さて、私は早退をするために保健室に行って症状を訴えたのですが、その時に私は、助けを求めようとしたんですよね。今日はその話です

                                          

保健室に行き、症状を訴えたときに、書かされる紙があるんですね。

そこに「悩み事はありますか?」という項目があってですね…

そこに 勉強・部活・家族の事・友人関係 とあったんですよ。

正直に部活以外に丸を付け、先生に話したんですね。

まずは家族。いつもしんどい時にしんどいと言えず、プレッシャーで死にそうになって帰ってきた次の登校日に行かないという選択肢を絶対に選ばせないという圧をかけられているというような内容でしたか。

保健室の先生が何言ったかは覚えてないです。まあ心に引っかからないぐらいのことしか言ってないからなんでしょうけど。

その後、開設の時に話した、夏期講習にて起きた事件を事細かに説明しました。

するとどうでしょう、まず先生は否定から入りましたね…「それはこう考えられるよね?」とか「考えすぎじゃない?」とか。

その時に私は確信しました。もうこの人は私を一つも理解する気がないと。

そんなことを思うと自然に涙が出そうになったのですが抑えました。

「それ以外には何かあるの?」と言われ、言ってもどうせ否定されるだけではと思いながらも、渋々もう一つ、体育のサッカーの授業で友人にダシにされた話をしたんですね。これも開設の時に話しましたね。

やはりそれも否定。なのに「でも私はあなたはあなたの道を行く感じでいいと思うんだけどね」と否定しておいてその否定した道に行かせようとする意味の分からない発言。

私は保健室の先生ならやさしく話をちゃんと聞いてくれると思ったのに…

私を理解してくれると思ったのに…

唯一、私をよく理解してくれた人たちは…

もう私のそばには一人もいないのである。

                                         

書いている間にもう一つ、話を思い出したので。

私の母校の中学にある合唱部が、テレビ関係のイベントに出演させていただきまして

結構近場だったので見に行ったんですよ。

そしたら、想い人が伴奏の譜めくりを担当していたんですよね。

少し戸惑いながらも私は、せめて友達までは関係を戻そうと、会話をするタイミングをうかがいました。

ようやく見つかったタイミングは、本番10分前のステージ横(といってもショッピングモールの特設会場なので通路なんですが)。

そこで私は声をかけました。「頑張って!」

しかし、想い人は顔を向けることもなく、私を見ようともしませんでした。

行き場の無くなった頑張っては、後付けで「ください」をつけて、知らない伴奏者に方に対するエールへと変わりました。

昔、異性なのに私を嫌わずに、優しく接してくれていた彼女は

私の言葉には、もう二度と耳を傾けないのでしょうか…

聞こえないならもういっそ、僕を殺して…

放棄、罪悪感、禁断症状

しんどいです

さっきまで宿題を潰してました。

今回は宿題について軽く書かせていただきます

                                          

中1の頃から、勉強どころか宿題すらやらなくなったのですが

高校に入り、その癖が仇となりました。

中学の頃は義務教育だったことがあり、あまり精神的につらくなかったのですが

高校に入って、中学のようには友人が出来ず、結局独りになってしまったのです。

その時に出来ることは、先生方と仲を深めることで精神を保とうとしましたが

まず宿題をしない生徒などいい印象がつくはずなどありません。

そのためにやろうとするのですが…結局家では何も手を付けず、結局期日を過ぎて出さなくなります

この時に怒ってやらせる先生が勿論いるわけで…

じゃあしょうがないと渋々やろうとペンを握ると、とてもしんどくなってどうしようもない何かに襲われて、結局最後までできない

「じゃあ答えを移せばいいじゃん」とよく言われるのですが、私はこの作業が大嫌いです

答えを見て、移して、見て、移して…の作業を2,3回で飽きます。

正直答えを移すくらいならやらない方がマシじゃないか…と思ってしまうんですね

そんな相談をすると大体同じ答えが返ってきます

「やらないのが悪い」「始めたらすぐだよ」

まず始めたらすぐに関しては全然そんな訳がなくて、いっつも途中でしんどくなります

そして、やらないのが悪いに関しては、そんなことわかってます。

でも、やったら辛くて、しんどくて、やりたくないんです。

そして、こんな自分に対して、罪悪感や、やる気のなさに、失望します。

そうやって自分でも責め立ててる中で、先生方はやっていない私を叱る。

相談しても、相談相手は呆れる。

私は、やらない私を嫌うし

やらない私は、うるさく言う私を嫌う

宿題というちっぽけなものが、私を蝕んでいっているのは確かなのだ。

 

責任に押し潰される

更新が速いですね

今日もまたモヤモヤしたので書き出したいと思います

バスの中で書いているので早速本題に行きましょう

                                                                                                                                             

朝、死んだように体を動かすのが辛い中、最初にかけられた言葉は

「今日は学校行けるの?学校は休めないんだからね」

でした

ご飯食べて、エレベーターに乗った時にも

今日は行けるよね?とか

気分悪くない?とか。

仕方なく足を進めた私は

気づけば稲雲の正面玄関にいました

そう。一応、行けたのです

しかし、クラスの人間とは会話なんてあるはずもなく

クラスで話した言葉は英語の授業で単語読んだ時くらいですかね…

そういえば今日は体育がありまして

サッカーという交流が必須のクソ授業がありました

ゲームをしたんですが…

開始して数秒で相手選手と衝突

鼻の上あたりや上半身と左足の付け根を思いっきり強打。足も砂にまみれ少し傷つきました

その後、休んで見守る事も出来たのですが

ここで休んだら何か言われると思い、ゲームにすぐ戻りました

その結果…

味方のチャンスを完全に崩してしまったんですね

申し訳ない気持ちが浮かんでいる最中…

「あのボール俺絶対取れたー!」と仲間に愚痴をこぼしていました

私はただ一生懸命にやってただけなのに。

しかも、何が辛いって

その子、中学時代同じクラスで仲が良い方だったんですよ

「あぁ、高校でやっていけるように俺を売ったんだ」と悲しくなりました…

そんな精神状態の中、部活に行ったんですが

後輩が私の代にブチ切れまして

遅刻が多いとか休みの連絡が遅いとか

それに3年の先輩も便乗し、その先輩は1人をターゲットに責め立てていました

                                       

家に帰ってきました。執筆の続きをします

この後輩なんですが、何故か私を中学時代から尊敬しているそうです。

そんな後輩を失望させてしまっている現状がとても辛いんですよ。

こう思い詰めると、いろいろな責任が私を押し潰しているんだと感じます。

登校、宿題、部活、先輩、社会、家族…

こういった拘束に苦しめられ生きていくのが定めならば

私はもうそんな生活などしたくないです

しかし、やめてしまえば待っているのは死です。まず真っ先に社会的死、次に精神的死、そして、肉体的死です。

でも、責任と共に生活を続ければ、下手すれば完全に押しつぶされて精神的に死にます。

最近いろいろな生活にとって大事なことが面倒臭くなってしまいました

これも虚無の始まりなのでしょうか…

このまま虚無に落ちていくんでしょうか…

怖いです。

開設と自己嫌悪

愚痴のためにブログを開設しました、鱒です。

正直馬鹿すぎるよなあって思いますね。

 

まずは愚痴の前にワンクッション挟みましょうか。

私、先日に北海道大学の工学部にお邪魔したんです。

理由はというと、なんか科学研だかなんだかのプログラムの一種でいろんな実験を体験できるようなのがありまして…

その会場が北大だったんですね。

そこでですね、やっぱり知らん人たちと色々実験をするわけですよ。

そんな中コミュ障気味な私が話せるわけないと思っていたら

気づけば同年代の方と一緒に帰るという奇跡が起こりまして…

実際その人と実験中に話したわけではなくて、プログラムのラスト30分くらいでほぼ初めて話したわけですよ。

色々話をして、一緒に帰ってるうちに気づいたんですよ。

その人と私はもう二度と会う事はないという可能性があることに。

それに気づいた時には少しだけ寂しくなったのですが、

その時二人で話したのは

「また会うか分かんねえしそん時には忘れてるかもしれないけどとりあえずまたねって言っておこう」

ってなりまして、

結局札幌駅にて「またな」と解散したんですね。

一期一会ってのはよく言ったもんだと初めて感じた体験でしたね…(帰る途中に歌声をすこし否定されて悔しかったのはまた別のお話)

 

                                       

 

さて、本題に入りましょう。

議題は「不幸」についてになります

正直僕主観のお話なのでちょっとおかしいところがあるかもしれませんがご了承ください。

現在2018年8月20日午前2時半ごろ

私は多分虚無の入り口を抜けるところにいます

そう感じる所以としては、先ほど辛くてどうしようもなくなって涙が止まらなくなりそうだったのです

こうなったときは大抵枕がビショビショになるくらい泣いてから就寝するパターンなのですが、今日は違いました

涙が止まったのです

私はこの時、涙が出ないことに恐怖を感じてしまい、さらに自分の悲しむことを考えてしまいました。

その後、流れた涙は1滴だけでした

多分涙が枯れたんでしょう 何故かそう思ったんですね

そう思い愚痴として洗い流そうとTwitterを開いた私が目にしたのは

毒親から逃げて暮らす悲しく辛そうな方の言葉だったんですよ

RTされてたんですね

このツイートを見たときに

「あ、対して辛い境遇じゃないじゃん俺。」と思って愚痴をするのをやめようとしたんですよ

そのことをツイートしたらまあ優しいことに愚痴ってええんやでと許しをもらったので愚痴ろうとしたのですよ

でも文字数が足りないなって思ってどうするか考えて今に至ります

今愚痴るための土台組んでるだけになってますがお気になさらず…(まだ組みます)

一旦わたくしの境遇を話しましょうか。

                                       

2001年7月12日、私は北海道の札幌市に産まれました

私は小さい頃から好奇心旺盛で、いろいろなことにチャレンジしたんですね。

その当時は水泳、器械体操、サッカーとかもやってましたね…

そのころに、私は自分の短所を一気に2つ作り上げます

私が通っていた保育園に、たいじゅうランキングなるものがありまして、

組ごとに組の部屋についてるんですよね(まあ学年で組分けされてるだけなので組というか学年ランキングなのですが)。

私、年長になったときに3位だったんですよ。なんでか。

幼い私はなんでか知らないんですけど「らんきんぐでいちばんになりたい!」

と思ったんですね。馬鹿かな?

そうですね。このころから私は1番が好きになりました。ナンバーワンが。

しかも最初に目指した一番が体重ということもあり、今では規格外の奴らがいなければ同い年には負け知らずになってしまいました。そう、体重が。

結局卒園したころにはたいじゅうランキングで2位になっていました

この経験のせいで私の歯車が狂い始めます

小学生になって、真っ先に私はデブというレッテルを貼られました。

いやこう考えると子供って残酷ですよね。見た目で判断しやがって…

まあその頃から私はストレスがどんどんかけられていきまして、幼い私にはそんなのに耐えれるわけもなく…色々な問題を起こすわけですね

暴言、暴力、脱走未遂…色々やってきたわけですが

そんな中私は最悪なものに触れてしまうわけですね。

そう、ゲームです。それもただのゲームではなくて、DSⅰっていうハードの。

もうわかるでしょ? うごくメモ帳ですよ。

小学生にネットを触れさせてしまうきっかけとなるゲームですね。

そして更に

私はパソコンの扱い方をこのころから知っていました。

ローマ字なんて大得意でした。

そこで目にしたのは…いや、耳にしたのは、まだ小学生の間には知れ渡ってない未知の存在であった、「東方プロジェクト」や「ボーカロイド」などの様々なもの。

一瞬で、僕はハマっていってしまい、気づけばそんな仲間を探していたんですね。

その時、私に救いの手が差し伸べられます。

兄の存在ですね。彼は私に今すぐ現実にその趣味を出すなと叱りました。

しかし…幼い私は言うことを聞かず、ついには同年代に徐々に理解者が現れてしまったのです。

この時私に付与されたのは、オタクというレッテルです。

そのころの私を見てきた皆さんならわかると思いますが、すでにこのころから私は短気という短所が付きまといます

そして、私は11才になり、一つ目の大事件を起こします

私は休み時間、口論になり、怒って相手を追っかけまわしたときに女子のジャンバーかなんかを踏みまして、持ち主に怒鳴られたんですね。それが引き金となりまして

私は学校から脱走して家に帰りました。

玄関で私は号泣しました。自分の犯した行動の愚かさに。

その後、私はA先生という先生に慰められながら、話を聞いてもらいながら生活していました。その先生と話しているのが好きでした。

しかし、その先生は私が5年生になって、別の学校へ転勤されました。

しかもそのころ、私はイジメのターゲットの1人となってまして

まあいろいろ利用されましたね…ゲームカセットは盗まれ、金も取られて(お金は帰ってきました。ゲームカセットはなんでか調査できないとかで学校が対応取りやめ)。

その頃から私は嫌われ、おかしいと言われ…ついにまた事件を起こしまして…

小6の時ですね、転校生の子が入ってきて2日目ですか。

その子にあれやこれやと僕の悪いうわさをクラスのいじめっ子が言いまして…

「お前、もう転校生に嫌われたぞ」と煽られたんですね

それはもうブチ切れました。そんでそいつに危害を加えようとしたら転校生に少し被害が行きまして、そしたらいじめっ子の一人が怒りまして…

その子に殴られて、なぜか僕いつも負けてたんですがその日はその子を地面にたたきつけて教室から出てったんですよ

はい、また脱走しました。今度は家と反対方向に。

午後3時くらいに学校に戻ったら母親が来てまして

先生と話してる横で泣いてたんですよね

私、結構なマザコンだったんですよ。もうこの日から母親に心配かけないように生きようと決めてしまいまして

自分の辛いことを外に出さないようにしたんですよ

そんな癖がついて進学した僕は中学一年生の夏、ある快挙を成し遂げました。

一学期中間テスト、数学ノー勉100点。

そらもう大喜び。しかしその時に勉強を家でしない習慣がついてしまいます

更に、その喜びを打ち砕く事がありました

母にテストを見せ、大喜びで100点取ったことを伝えたのです

母は「でも英語が67点だからねえ…」と言いました

私はこの時に確信しました。私は勉強していい成績をとっても誰にも褒められないと。

実際クラスでも、100点を取ったことにみんなが不満がってましたし、もうそう考えてしまうのは必然なんですよ…

その頃、私はクラスになじめなくなり、母が仕事でいないときに学校を休んだりしていました。その頃の唯一の楽しみがネットでした

小学校で出来た友人がネットをやっていたこともあり、色々なことに触れるきっかけも作ってくれました

その一つであった動画制作で事件は起こりました

ある朝、学校に登校した私は、こう呼ばれました

「よう!マスフリ!」

「は?」私は戸惑いました。なんでこいつがその名前を知っているのか。

その日、私は先生に呼び出しをされ、動画投稿をしていることを指摘されました。

問題となった動画で、私は体育大会でいつもからかってくる人間にブチ切れて蹴った話をしていたのですが、なぜかその様子を撮影し、投稿しているとまで話が広がっていたらしく…

私はネットをやめることを強要されました。

私の生活の支えであったネットをやめることを。

ストレスの行き場をなくした私はどうすることも出来ず、不登校気味になりそうでした。

しかし、母親に心配をかけてはいけないと思い登校を続けました(勝手に休んだ日もありましたが)。

母親のために頑張ろう、頑張って乗り越えようと思いました。

11月中旬、母は小脳が破裂し、帰らぬ人となりました。

私は13歳でした。

忌引の期間が終わり、登校したときにおちゃらけた屑に言われたのが

「何お前母ちゃん殺したのよ」

私の心にグサリと刺さりました。

このころから私は狂い始めました

しかし、その時に支えてくれたのは部活の仲間たちでした

その影響も有ると思います。私が合唱を続けているのも。

その時、私はある過ちを犯したんですね…

恋をしてしまったんです。部活の仲間である、想い人に。

私は想い人に好かれるため努力しました。

中3の頃に83キロだった体重を

告白前に70キロに落とした事もあります

しかし、中3の頃の告白は失敗に終わりました

想い人には既に付き合っていた人がいたんですね

しかし、その人は同性愛に目覚めたらしく

別れたそうです

そんな悲しみを乗り越えて高校生になりました

その前にSCに戻ってきましたね僕は

私は懲りずにもう一回告白したんですね

それも失敗。また既に付き合ってました

その男とは男の方が屑だったそうで自然消滅したそうです

ここまでちゃんと復縁をしていたのですが…私は彼女を突き放す発言をしてしまったんですね

4月ごろ、彼女に相談に乗ってもらった時

私は「誰も信じられないんだ、想い人のことも」と発言してしまって

三回目の告白の時に聞かされたのですが、彼女はこの発言にとても傷ついてしまったんですよね。そのときにようやく言われました

「貴方の気持ちにはお答えできません」と。

そこから二人だけでの会話は一切ないし、私は彼女を見かけるたび、避けるようになりました

「彼女は私を見たくないだろう」と思って…

                                       

これが私の境遇ですね

なんで私はここまでの仕打ちをうけなくてはならないんでしょう

しかも高校ではクラスの人間の大半が私を嫌っている状況

夏期講習のとき、女子の席に座ることになり座ったらその席の女子に泣かれました

なんででしょうか…私は確かに勉強や嫌なことを避けて生きていました

しかしここまでの仕打ちをなんで受けなくてはいけないんでしょうか

心の支えを見つけては奪われ、見つけては奪われ

なんでこんな重圧で体に異常をきたさねえんだよ俺は

異常が起きてしまえば楽なのになんなんだよ

 

 

 

 

 

 

こんな感じですかね、書けることは

もう時間がなくなっていました、もう朝の4時半です

私はこれから学校の用意をしなければいけません

時間割はありません

知ることもできません

クラスになじめてないから

聞く事さえも…